logo

日本の数学者遠山啓さんと銀林浩さん

日本の数学者遠山啓さんと銀林浩さん

水道方式が誕生してから半世紀たちました。数学者によって確立されたこともあり、学術的考察に裏づけされたこともあり、議論の対象になりがちです。議論する価値があるという点でも紐解く理由があるのではないでしょうか。

「水道方式」を語るときに、ふたりの数学者の大きな存在があげられます。遠山啓さんと銀林浩さんです。

遠山啓(とおやまひらく)

遠山さんは明治42年(1909年)に、朝鮮の仁川に生まれましたが、すぐに郷里の熊本県宇城市小川町にもどりそこで成長しました。小学校4年で東京に転居して、母親と二人で手狭な家に同居していたことからわかるように、暮らし向きは決して裕福ではありませんでした。

渋谷の千駄ヶ谷小学校から東京府立一中に入学しています。同級生には牛場信彦(福田赳夫内閣のときの国務大臣)や佐久洋(元中小企業庁長官)たちがいました。その後は、旧制福岡高等学校 を経て、大学は東京帝国大学理学部数学科に一旦入学した後に、東京帝国大学理学部を退学しています。

それには理由があり、小学校時代から社会や人間に関わるのが嫌いだったこともあり、不運な国に生まれたと自分自身を感じていました。その理由もあり、1000万人を納得させられる数学で、自分の身を立てて行こうと思ってきたことをここで再度認識して、東北帝国大学理学部の数学科に再入学しました。そして東北帝国大学理学部数学家を昭和13年(1938年)に卒業しています。卒業した時には28歳でした。

大学を卒業した後に、霞ヶ浦海軍基地の航空隊の教官(海軍教授)を務めながら、整数論と代数関数論の研究をしていました。昭和19年(1944年)から東京工業大学に助教授として勤務して、昭和24年(1949年)に東京工業大学教授に就任しています。

数学教育に関心を持つようになったのは、昭和24年(1950年)ごろからのことです。そして昭和26年(1951年)に、数学教育協議会(数教協)を結成して、長くその委員長として、小中学校の教育現場での数学教育を指導して、数学教育の改良運動に率先してその力となりました。

中学校の数学教育では、因数分解や幾何の証明など、あまりに難解な問題を生徒に課す事を批判していたほかにも、日本の学校教育が、生徒に間違いをさせない事を過度に重要視するのを批判しています。

「タイル」というシェーマの使用、「数」による指導に加えて幾何学量(長さ、面積など)にもとづく「量の概念」の導入して、「水道方式」という数学の学び方を開発しました。

昭和45年(1970年)に東工大を定年退官して、名誉教授となりました。昭和48年(1973年)に、教育の全体をどう変えていくかをテーマに、雑誌『ひと』を創刊しています。

遠山啓著書『遠山啓著作集 数学教育論シリーズ』(全13巻)

  • 0.数学教育への招待
  • 1.数学教育の展望
  • 2.数学教育の潮流
  • 3.水道方式とはなにか
  • 4.水道方式をめぐって
  • 5.量とはなにか I-内包量・外延量
  • 6.量とはなにかII-多次元量・微分積分
  • 7.幾何教育をどうすすめるか
  • 8.数学教育の現代化
  • 9.現代化をどうすすめるか
  • 10.たのしい数学・たのしい授業
  • 11.数楽への招待Ⅰ
  • 12.数楽への招待Ⅱ
  • 13.数学教育の改革運動

遠山啓著書『遠山啓著作集 数学論シリーズ』(全8巻)

  • 0.数学への招待
  • 1.数学の展望台I 中学・高校数学入門
  • 2.数学の展望台II 複素数・三角関数・線形代数
  • 3.数学の展望台III 行列・微分積分
  • 4.現代数学への道
  • 5.数学つれづれ草
  • 6.数学と文化
  • 7.数学のたのしさ

遠山啓著作『遠山啓著作集 教育論シリーズ』(全5巻)

  • 0.教育への招待1.教育の理想と現実
  • 2.教育の自由と統制
  • 3.序列主義と競争主義
  • 4.教師とは、学校とは

遠山啓と銀林浩との共編著

  • 昭和35年(1960年)・・・『水道方式による計算体系』
  • 昭和46年(1971年)・・・『数学教育現代化の基礎』
  • 昭和47年(1972年)・・・『算数わかる教え方』1〜6年
  • 昭和51年~昭和59年(1976年~1983年)・・・『わかるさんすうの教え方』1ー4
  • 昭和55年~昭和60年(1980年~1985年)・・・『算数わかる教え方学び方』全18巻